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川柳つれづれblog

*毎日の川柳作品の他、大好きなフィギュアスケートやミステリ、本、映画、その他日々の出来事をつれづれなるままに……。

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蝉時雨

ちょっとおもしろいページを見つけたので、こんなもの作ってみた。

渡辺美輪川柳ミニエッセイ「蝉時雨」

HP「ネスカフェ・ゴールドブレンド 違いがわかるクラブ」
「大沢たかおのあなたに朗読」

*文章を入力するだけで、大沢たかおさんが朗読してくれます。

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翻訳はむずかしい

私は語学が苦手だ。中学高校大学と、英語では非常に苦労してきた。
発音だめ、文法だめ、単語や熟語を覚えるのも苦手。どうやら私の頭は、完全に「日本語仕様」になっているらしい。
それでも曲がりなりにも英語を学校で10年以上学んできたわけだし、一応「英語検定2級」なんつーのも持ってたりする。しかしこれも実のところ、テスト前の猛勉強でなんとかクリアした次第。……なんというか、日本の英語教育のダメっぷりを体現しているような気が……。

このブログでも、ネットの海外の記事を拾っては怪しい日本語に訳すことをたまにやってみている。
だが何しろ語学の苦手な私のこと、かなり適当ないい加減な訳である。誰がどこで何をした、といった簡単な短い文章ならともかく、長文になるともうお手上げに近い。
それでも英語ならなんとなーくわかるので、他の国の言葉の場合は自動翻訳でいったん英語に直してから訳す。しかし、この作業の間にきっと、原語の細かいニュアンスはボロボロとこぼれ落ちてしまってるんだろうな。

谷川俊太郎さんの詩集(タイトルは忘れた)で、詩本文とその英訳が一冊になった本があった。右開きすると日本語で、左から開くと英語で同じ詩が読める。すごいなぁ、お洒落だなぁと思ったが、「詩を訳す」ということにちょっと違和感を覚えたことも事実だ。
谷川さんはマザーグースなども訳しておられて、その訳は楽しくて私も大好きだ。しかし、英語で聞くマザーグースと、谷川さんの日本語で味わうマザーグースは、まったくの別物だと思う。英語で「Cat」というのと、日本語で「猫」というのと。英語で「glad」というのと、日本語で「嬉しい」というのと。英語で「I Love You」というのと、日本語で「あなたが好き」というのと。ふたつの言語の間にあるニュアンスの違いに、私は戸惑いを覚える。

かつて「川柳句集を外国語に翻訳しよう」という企画があって、英語、フランス語、中国語など、何人もの専門家が挑戦したけど結局頓挫した、という話を聞いたことがある。
たとえば新子先生の「れんげ菜の花この世の旅もあと少し」という句。この「れんげ」や「菜の花」といった花の持つ意味合いは、花の名を単純に訳しただけでは伝わらない。れんげや菜の花の咲き乱れる懐かしい風景。日本人ならわかるだろう「ふるさと」の原風景のような……。そんなところでなんとなく感じる「あと少し」という思い。でも決してそれは「すぐに死が訪れる」というわけではない。もう少し、あと少し。なんとなく余裕があり、切実な思いや死に対する恐怖のようなものは、そこにはない。これまた他の国の言語に訳すことは、非常に困難を極めるだろう。

さらに日本語には、漢字とひらがなとカタカナがある。薔薇、ばら、バラ。同じ言葉でも、表記によって味わいが異なる。また、リズムや発音、韻を踏むといった、英語ならでは、日本語ならではのことばあそび。これもそのまま訳したのでは、絶対に伝わらない。土地が違う、空気が違う、光が違う、風土が違う。日本の地で生まれた詩は、日本の地にしかない表現となる。そして同じ日本でも、関東と関西、北海道と沖縄ではまったく異なる。語学がいくら堪能でも伝えきれない微妙なニュアンス。

たった十七音字に詰まった、あふれる思い。同じ国に住む、同じ言葉を話す人にさえ、うまく伝えきれない思い。
その思いを、どこまで他の国の言葉を話す人々に伝えることができるのか。つくづく、翻訳は難しい。

  あめりかもふらんすも日本も遠い  美輪

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新子三回忌

3月10日。今日は新子先生の三回忌に当たる。
2007年3月、突然先生がいなくなってから、もう丸2年の月日が過ぎた。

新子先生がこの世にいないということが、いまだに私は信じられない。
私は先生のお墓にお参りに行こうとは思わない。だって、そこに先生がいるとは思えないんだもの。

川柳教室で生徒さんに、川柳について語っていると「あ、これは新子先生のおっしゃっていたことそのままだ」と感じることがしょっちゅうだ。
川柳をやっているかぎり、新子先生は私の近くにおられる。そう思う。

私が新子先生からもらったものは何だろう、と時々考える。
「川柳=心を伝える文芸」と思ったのは、間違いなく新子先生の影響だ。
自分の心を、自分の中にあるさまざまな思いを、五七五の形にする。気取りもなく、てらいもなく、あたりまえの思いをあたりまえに書く。たったそれだけのことが、なんと難しいことか。

新子先生がいなくなって丸2年。
今日も私は言葉を紡ぐ。そこにおられる先生に向けて、五七五の思いを投げ上げる。

  泣きながらひとつ覚えの五七五  美輪

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川柳教室

現在、私は定期的な川柳教室を三つ持っている。
一つは月2回のKCC(神戸新聞文化センター)。第1・第3月曜日の朝の教室。
二つ目は月1回のACC(朝日カルチャー芦屋教室)。こちらは第3火曜日の午後の教室。
そして三つ目はコープこうべ通信講座。通信教室なので普段は郵送で作品を添削しているが、年4回スクーリングがあって、実際にお顔を見ながら川柳指導をする。教室があるのは3月・6月・9月・12月の第1木曜日。つまり今日の午後行ってきたわけである。

どの教室も、平日の昼間ということで、どうしても若い人は少ない。年齢層はほとんど私の両親くらいの人が多くなるが、それぞれの教室で、生徒さんにもそれぞれ特徴がある。
KCCはほとんど六十代から七十代の方々で、おっとり穏やかな方が多い。女性のほうが若干人数が多いものの、おじさんたちも他の教室に比べると比較的多い。ムードメーカー的な元気なおじさんがいて、いつも私と漫才しながら教室が進む。また、別のおじさんは「級長さん」として、司会進行やアフター教室などを仕切ってくれている。
ACCはKCCよりも年齢層が五十代から八十代までと幅広い。こちらはユニークな個性のかたまりで、なかなか活発に意見が飛び交う感がある。もともとは新子先生のご主人が受け持っていた教室を別の方が引き継ぎ、その後私が引き継いだという関係で、私が教室を受け持つ前からの生徒さんも何人かいる。最初は私の指導法に戸惑っておられたが(こちらも戸惑っていた)、徐々に馴染んで、いまやすっかりお互いのペースにはまっている。
コープ通信は全体的におっとりのんびりの感じだが、3ヶ月に1回と頻度が少ないし、普段は忙しかったり遠方だったりでお目にかからない方々が来られるので、ちょっと勝手が違う。顔ぶれも毎回違うし人数も少ないので、教室の進め方も他の教室とはおのずと異なってくる。1回の教室で、かなりたっぷりと詰め込んでお話をさせていただいているつもりだ。

どの教室でも、私の指導法は新子先生流で「まずは自分で川柳を詠む」が基本である。
生徒さんの作品を前もって提出していただき、添削した個々の作品を読み上げながら、川柳作りのコツを教える。まずは五・七・五のリズムを守ることから始まって、言葉の使い方や選び方、細かい言い回し、助詞助動詞の入れ替えなど、ちょっとした添削で作品が変わるのを楽しんでいただくのである。
しかし技術的にはすぐみなさん上達なさるが、そこから先が難しい。「心をこめて」「自分らしく」「もっと自分に引き付けて」……このあたりになってくると、目に見える上達というものはなかなかわかりにくい。

私はいつも生徒さんに言う。「うまくなろうと思わないで。うまい作品なら誰でもできます。下手でもその人らしさが出ている作品のほうが魅力的ですよ」と。
そう、「上手」な作品なんて魅力がない。魅力的なのは荒削りでごつごつしていても、他の人にはない良さがある作品だ。エキセントリックだったり、理屈っぽかったり、意地っ張りだったり、おっちょこちょいだったり、子煩悩だったり、わがままだったり、そういったその人らしさが出ている作品。そんな作品に出合える方が、よほど楽しい。
そんなふうに教室でみなさんにお話ししていると、なんだか新子先生の口調に似ているなあと思う。
時々、新子先生が私に言わせてるんじゃないかと思うことさえある。ここでしゃべっているのは私ではなく、新子先生のような気がするのだ。
そう、きっとそうなんだろう。新子先生は私を通して、私の生徒さんに語りかけておられる。
「あなたらしい川柳を作りなさい。他の人にはできない、あなたしかできない川柳を」と。

他の人にできないこと。新子先生の教えを、そのまま伝えること。
私はきっと、そのためにいるのだ。

  まっすぐに走ろうまっすぐな道だ  美輪

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月の子忌句会

昨日、神戸で開かれた「月の子忌句会」に行って来た。
「月の子忌」は、時実新子先生の句「君は日の子われは月の子顔上げよ」にちなんで命名された新子先生の命日。本当は3月10日だが、今年は平日だったことと、9日に会場が取れなかったことから、一週間遅れの16日に開催されたのだ。

晴れ女の新子先生が空から見守ってくださったおかげで、神戸は朝から素晴らしい天気だった。
数カ月ぶり、一年ぶりに会う人。
数年ぶりに顔を見た人、初めて句会に参加した人。
いろんな人がいて、たくさんの素敵な句に出会えた。本当に素晴らしい句会だった。
きっと空から新子先生も喜んでごらんになっていただろう。

川柳大学の句会は、昔から厳選で有名である。今回も200人近い出席者が1題に2句ずつ投句して、およそ400句近い中から、入選は特選を入れてたった35句。1割に満たない作品しか選べないのだから、選者にとっても非常に辛いものがある。
私も最初の粗選りで、まず70句近くにまで絞ったが、そこからが大変。もう一度見直してさらに惜しい句を落としていっても50句。さらに絞りに絞って40句。それでもあと5句は泣いてもらわなければならない。
明日になったらまた多少は違う句を選ぶかもしれない。ゆっくりじっくり日数をかけて選びなおせば、また違った選になるかもしれない。しかし昨日、1時間半かけて選んだ作品は、出会えて嬉しくなるくらい本当に素晴らしい作品ばかりだった。それは断言できる。だから最終的に決めた35句は、昨日の時点の私が思った最高の句ばかりだ、と、胸を張って言いたい。

句会に出ることはいい刺激になる。今日も昨日の句会に参加した教室の生徒さんたちが、口々に「楽しかった」「すごくいい勉強になった」「あの句はおもしろかった」と、やや興奮気味に言っておられて、ああ、お誘いして良かったなあと思う。1句入選の人、2句3句と入選した人。全没の人もみんな本当に楽しかった、いい句会だったとおっしゃっていた。
私はといえば、入選はたった一句。まぁでも今回は自分でも「こりゃ出来が悪いな」と思っていたから、入選があっただけでもラッキーである。
しかし句会で入選することを「目的」にしてはいけない、と思う。
入選するのは嬉しい。これは人情として当然のことだ。
しかし「入選したいから句を作る」あるいは「入選するような句を作る」ようになってはいけない。「自分で納得のいくいい句ができて、それが結果として入選したのが嬉しい」でなければ。
作品は句会のためのものではない。あくまでも自分のためのもの。題詠は「題にあわせて自分を変える」のではなく「あくまでも自分らしく題にあわせて表現する」もの。それを肝に銘じておかなければならない。

昨日の句会で出会えた川柳仲間たち。
「川柳大学」という雑誌がなくなっても、こうして年に一度でも出会えるならば、「川柳大学」はなくならない。
みんなが川柳を続けている限り、新子先生はきっとずっと空から見守ってくださっているだろう。

  月の子忌今日の神戸の空の青 美輪

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女きょうだい

今、姉がうちに来ている。研修が兵庫県で行われているため、ホテル代わりに2泊3日、うちを宿にしてるのである。
来るに当たっては「狭いよ~汚いよ~覚悟しといてよ~」とさんざん脅しておいたのだが(笑)、姉はへこたれずにやって来た。実際に部屋を見て姉がひとこと。「学生みたいだね~」……うーん、うまいこと言う。

そう、確かに私はここで、長年学生生活を送っているようなものだ。
大学を卒業して、神戸に来て早20年近く。20代の頃は大学院に通いつつ、学校の非常勤や予備校の講師をした。その後教員生活を数年したが退職し、今は早朝仕事と在宅入力、そして川柳教室の講師や選者などをして食いつないでいる。
学生生活の延長のような不安定な生活。将来の保障も何もない、だけど自由気ままな生活。お金の不安はあるけれど、精神的にはとても楽。独りだからこそできる、こんな生活を、私は当たり前のように日々送っている。

姉は小学校の教員をしている。教員になるのは子供の頃からの姉の夢だった。
本当は姉は高校の教師になりたかったのだ。本を読むことが好きで、源氏物語が好きで。その魅力を子供たちに伝えることが夢だったのだろう。それでもかなり夢に近い仕事に就き、子供に勉強を教えともに遊び、一日中くるくると忙しい。
収入は安定してるし老後の不安はない。結婚して子供も産み家も建てた。世間的に見れば非常に理想的な生活。しかしやはりいろいろと悩みはある。家庭のこと、仕事のこと、独りではないからこそ当然のようにある悩みを抱え、毎日を送っている。

姉のような生活を送りたいと思ったこともある。
姉もきっと、私のような生活を送りたいと思ったことがあるだろう。
どちらの生き方が良いとか悪いとか、そういうことではなく。今の生活が不満だというわけでもなく。ただ、今とは違った生活というのもあったんだな、と思う。
同じ親から生まれ同じ土地で育ち、同じように本が好きで、源氏物語が好きで。今は全く違った土地で、全く違う生活を送っている二人。今の生活を捨てようなんて思わない。けど、お互いに「自分にはできない生き方をしている」相手をちょっぴりねたましく思ったりして。

昨夜は姉の持ってきた焼酎を飲みながら、夜遅くまであれやこれやとおしゃべりした。
それぞれ違う土地に住み、違う生き方をしている女きょうだい。
たまにこうして、二人だけで飲むのもいいね。

  女きょうだい酒のつまみはおしゃべりで 美輪

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川柳大学最終号

昨日、月刊「川柳大学」最終号が届いた。
会員・誌友の最後の投句コーナーと、最終号記念エッセー&追悼句特集。
そして先月初めに開催された、全国大会兼新子先生追悼句会の入選句と大会・懇親会の記事。
質・量ともに、いつもの倍のボリュームの最終号だ。

この雑誌が生まれてからこの日まで、私はずっと一緒に歩いてきた。
私はこの雑誌でいろいろなことを学んだ。
川柳の作り方も、知識も、歴史も、楽しみ方も、みんなこの雑誌とともに学んだ。
2000年の春からは、この雑誌のためにホームページを作って、ネットの世界に広げていく役割を任された。
最初は、高校生川柳のために。そして、やがては雑誌全体のために。
それも、もう終わる。

今朝、早朝仕事が休みだったため、最終号のHP更新に取り掛かった。
残るゼミ、なくなるゼミ。一つ一つ、会場アクセスやリンクを確認する。
掲示板も今日で閉鎖したし、これもリンクを外さなくちゃ。
ああ、この記事間違いがあったっけ……。なんて、あちこちチェックしていたら、思いのほか時間がかかった。
そうして10時過ぎ、ようやくアップロードして最終更新を終えた。
しばらくこのまま残しておくけれど、もう「更新」はしない。
2000年春から今日まで7年半。私にとっての「川柳大学HP」は、これで永遠のものになった。

新子先生のお墓にお参りに行かないんですか、と、時々訊かれることがある。
そのたび私は、首を横に振る。だって先生は、土の中なんかにいないんだもの。
先生はいつも私のそばにいらっしゃる。そうして私のおっちょこちょいを笑ったり、叱ったり、たしなめたりしてくださっている。
昨日も、今日も、そしてこれからも、ずっと。
だから私は歩かなければ。先生を信じて、これからもまっすぐに。

  先生 空がこんなに青いのはなあぜ 美輪

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川柳大学全国大会

6月3日、東京・私学会館で川柳大学全国大会が開催された。
毎年1回、東京と神戸で交互に開催されてきた全国大会。それももうこれで最後になる。

今年の大会は、「時実新子追悼句会」として開催された。
大会会場には大きく、新子先生の生前のお写真がディスプレイされた。
席題は「新しい」と「子」。そう、新子先生にちなんだ題。
開会のスタートは新子先生への黙祷。そして、新子先生がかつてラジオ出演されたとき語った「川柳は私(わたくし)発」というお話のテープが場内に流れる……。
でもそれ以外は、別に追悼句会だからといって、そういった句ばかりが集まったわけではない。どっと笑える楽しい句あり、なるほどと思わずうなるような社会吟あり、ニヤリとさせられるシニカルな句あり、しみじみと深い人生句あり。バラエティに富んだ名句をたくさん聞けて、とても素晴らしい句会だった。
ちなみに「新しい」の披講の途中、突然新子先生のテープがリプレイされてみんなドッキリ。あれはきっと天国の新子先生がいたずらされたに違いない。
大会の最後に、司会者から「天国の新子先生から、川柳大学の後継者について発表がありました」とどっきり発言。みんな固唾を呑んで聞き入った。
「新子の後継者。それは、みなさん全員です。川柳大学の精神を受け継ぐみなさん全員が、紛れもなく時実新子の後継者です!」
場内大拍手。そう。そのとおりだ。誰か一人が受け継ぐというものではない。みんな新子の弟子、みんな新子の子なんだ。
みんな新子の後継者として、これからも川柳に取り組もう……場内のみんなの目が、涙できらりと光った。

大会が終わって懇親会。こちらにも大会会場でディスプレイした新子先生の写真パネルが、壇上に飾られた。
最初に新子先生がご自分の句を朗読されたテープを聴く。時に淡々と、時にしみじみと、時に泣きながら読まれる新子先生。会場にいたみんながしんみりと聞き入った。
BGMはピアノの生演奏。食事をいただきながら、会員・誌友のみんなが和気あいあいと話に花を咲かせる。お楽しみのゲームは、新子先生にちなんだクイズ大会。賞品は新子先生の著書『思いもかけない幸せ』。……すいません、ちゃっかり優勝していただいちゃいました~(^^)vまさに「思いもかけない幸せ」でした♪
そしてアドリブ企画「千の風になって」大合唱。さらに最後はいつものテーマ「三百六十五歩の川柳」(替え歌)……ちょっぴり涙ぐみながら、新子先生の愛した川柳大学の最後は、やっぱり明るい笑いに満ちた大会だった。

新子先生。見ていらっしゃいましたよね?
私たち、みんなこれからも頑張りますよ。進む道は違っても、心は一つ。みんな新子先生と一緒に頑張ります。どうぞこれからも見ていてくださいね。

  五七五祭りの後の泣き笑い 美輪

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川柳大学終刊

「時実新子の川柳大学」終刊が発表された。
創刊11年半。今年の8月号、140号でその歴史を閉じることになる。

阪神淡路大震災の年、新子先生は、20年主宰をつとめた雑誌「川柳展望」と決別し、新しい雑誌を作ることを決めた。
その年の9月、先生の自宅で開かれたサロン句会。その句会こそ、私が初めて参加した川柳の句会だった。その場に居合わせたメンバーで初代の神戸事務局を編成、神戸市中央区に事務所を構えて「川柳大学」はスタートする。私はまさに、川柳大学とともに川柳の道を歩み始めたのだ。

神戸事務局はとてもアットホームだった。狭いワンルームでお尻をつき合わせて、みんなきゃいきゃいと編集事務に取り組んだ。
編集作業の多くは、地道で地味な単純作業だ。毎月の会費・誌代を確認しては名簿を整理し、宛名シールを封筒に貼り、都道府県別に並べて発送の準備をする。一方で毎日投句用紙やハガキや原稿を整理し、原稿を読みやすくリライトし、印刷所や事務所で一字一句校正する。雑誌が出来上がったら今度は一冊一冊封筒に入れ、ホチキスで留めてまた都道府県別に並べる。集配に来てもらえるようになるまで、郵便局へ運ぶのも一苦労だった。数ヵ月後第三種の認可が下りたときの嬉しかったこと。大会の準備と発送の準備が重なると、もうみんな大騒ぎだったな。
事務局のメンバーは、私以外はそうそうたる面々。実作面で、あるいは川柳研究の面で、関西川柳界でも名を知られた人々ばかりだった。
そんな中、他の事務局メンバーより少し年の離れた私は、新子先生の「末娘」というより「事務局みんなの娘」のような存在だった。川柳のことは何も知らない、怖いもの知らずのはねっかえり娘。私はみんなからいろいろなことを教わった。私もみんなに心を許して何でも相談した。新子先生・六郎編集長を中心に、私たちは家族のように和気あいあいと雑務を楽しんだ。
やがて六郎先生が体調を壊し、編集作業を東京に移すことになって、神戸事務局は解散する。そして東京から届くようになって5年。新子先生を失って、とうとうこの夏、川柳大学そのものもなくなってしまう。

神戸事務局がなくなった時も寂しかったけれど、それでも発表母体はしっかりとしていた。川柳大学という柱を中心に、みんなお互いに支えあい、助け合ってきた。でも、今度は発表の母体そのものがなくなってしまう。みんな行き場をなくしてしまう。
もともとどこかの結社に属していた人の多くはそこに戻っていくだろう。しかしどこにも属していない、行き場のない人は……。
私は川柳大学で、新子先生の直弟子として、純粋培養で育ってきた。他の結社は何も知らない。どこともつながりがない。新子先生を失った今、どこにも行き場がない。

私はどこにも行くつもりはない。新子先生がそうだったように、私は私の川柳を歩めばいい。
傲岸だと言われようと、不遜だと言われようと、私は私の川柳をめざす。他の誰でもない、私だけの川柳をめざす。
それこそ新子先生の望みだと信じて、私は歩む。やがて私の足跡が、そのまま私の川柳となる日まで。

  はるかなる道をめざして五七五  美輪

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新子先生のこと

昨日(3月10日)、新子先生が遠くへ旅立っていかれた。
私が最後にお会いしたのはその2日前。病院でご家族に囲まれて、最後の時を待っておられた。

最後に近いときにお目にかかれたことを、喜ばなくてはいけない。病室で泣いてはいけない。そう言われて必死で涙をこらえた。泣き声にならないように気をつけて、先生に話しかけた。
新子先生、美輪です。先生にお会いできて良かったです、と。いっぱいいっぱい、ありがとうございました、と。
先生は手を握り返してくださった。それで充分だった。

1995年1月17日、阪神淡路大震災に遭い、私は3月末まで実家に避難した。
父母と共に暮らす穏やかな日々の中、それでも神戸に戻りたいと思った。
しかし無理に神戸に戻っても、住む場所はあっても仕事もない。あてもない。希望の見えない毎日の中、書店で手にした『わが阪神淡路大震災ー悲苦を超えてー』。
この本が私を川柳に、時実新子に結びつけた。

新子先生に初めてお会いしたのは、その年の9月。神戸市西区の先生のマンションで小さな句会が開かれ、その仲間の前で先生は「川柳大学」を立ち上げると発表した。
私はそこに居合わせたおかげで、「川柳大学」の創刊に事務局・編集委員として関わることができた。それから5年半、神戸事務局で毎月新子先生にお目にかかった。
最初は川柳よりも、編集作業がおもしろかった。原稿依頼、届いた原稿の整理、出稿、校正、そして発送。一冊の雑誌ができるまでのあれこれに関わることは、とても興味深かった。そして毎月川柳を見、作っているうちに、川柳そのものが私の中で大きなものに変わっていった。
いつの間にか、私は編集よりも川柳を書く方が好きになった。そうして、時実新子という存在が、前にも増して大きな存在になっていた。私は新子先生のカルチャーに通い、添削を受け、講評を聞き、毎月のノートは先生の言葉で真っ黒になっていった。

新子先生は私を可愛がってくださった。
新子先生と私は、どこか似ていた。同時に全く同じ替え歌を思いついたり、フィギュアスケートが好きだったり。生まれも世代も生活環境も全く違うのに、同じことで笑ったり、泣いたり、怒ったりした。
先生は私の文章を気に入っておられた。座談会やインタビューの文章は、新子先生の文章が一番おもしろい。しかしそれを先生は、私に代わりに記録させてくださった。「川柳大学」で一番人気だった「新子の川柳ライブ塾」は、カルチャーでの先生の言葉をそのまま書き写したもの。この文章についても、新子先生は私を非常に信頼してくださり、ほとんど任せてくださった。
私は新子先生のそばで、いろいろなことを学び、吸収していった。
そうして事務局が東京に変わっても、先生がカルチャーを辞められても、私は新子先生を追いかけてきた。自分がカルチャーで教えるようになっても、選者になっても、常に「新子先生だったらこうするだろう」と思って、新子先生にいただいたものを伝えることばかり考えてきた。
私にとって新子先生は、川柳そのものだった。

今、新子先生がこの世を去り。大きな大きな存在を失い。
私は途方に暮れている。母をなくした子供のように、立ち尽くしている。大きな大きな喪失感。胸にポッカリと空いた穴。
私は泣きながら、それでも歩き続ける。新子先生にいただいた川柳への愛を、世の中に発信し続けるために。

 三月のさみしい朝を歩き出す 美輪

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プロフィール
HN:
美輪@brownycat
性別:
女性
自己紹介:
1995年阪神淡路大震災に遭う。同年、時実新子に出合い川柳をはじめる。
「川柳大学」元会員、旧公式HP管理人。
ゆうゆう夢工房」会員。
雑誌「現代川柳」編集長。
KCC(神戸新聞文化センター)川柳教室講師、朝日カルチャー芦屋教室川柳講師。
2006年8月より神戸新聞川柳壇選者。
2007年秋よりコープこうべ通信講座川柳教室講師。
2009年4月より甲南カルチャーセンター川柳教室講師。

*神戸新聞2008/1/1~7掲載「源氏物語千年紀 川柳作家とゆく須磨・明石」はこちら

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*リンクの再開・存続が決定しました。


大阪のリンクを守ろう! 詳しくはこちら
*存続が決定しました。今後ともご支援ご協力お願いいたします。


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間違いの悲劇


*エラリー・クイーン最後の作品、というよりは作品のための梗概「間違いの悲劇」。これが完成した姿を見たかったですねえ……。ほかにもクイーン検察局シリーズとか、パズルクラブシリーズなどが載っていて、なかなか楽しいです♪



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