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川柳つれづれblog

*毎日の川柳作品の他、大好きなフィギュアスケートやミステリ、本、映画、その他日々の出来事をつれづれなるままに……。

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『悲苦を超えて』

平成7年1月17日、私の誕生日。
あの日私は神戸にいた。そして、あの激震に遭遇した。
マグニチュード7.4。震度7の揺れは、私の愛した神戸の街をこなごなにした。

私はその時、最も被害の大きかった東灘区にいた。
幸い私の住んでいたマンションは、潰れたり壊れたりすることなく済んだ。
それも本当は奇蹟だったのかもしれない。午前5時46分。当時、予備校の講師をしていた私は、仕事のある日でも毎日それほど早起きしなくても済む状態だった。それなのに、その朝に限ってやたらと早く目が覚めたのだ。
明け方の5時半。まだ眠い頭でぼんやりと私は布団にくるまったまま半身を起こし、ビデオのスイッチを入れ、とりとめもない番組の録画を見ていた。
と、突然テレビがぶちっと切れ、辺りが真っ暗になった。そしてドンッ、と下から突き上げるような揺れ。
その後は、とにかく部屋ごとシェークされているような有り様で、ただただ頭を抱えてうずくまっているしかなかった。
長かった20秒余りが過ぎ、ようやく揺れがおさまったとき、私は本棚の下敷きになっていた。といっても、私の上にあったのは、合板の軽い組立式本棚。しかもそこに納まっていたのは、文庫本ばかりだったから、私は棚の仕切り板で頭にこぶを一つ作っただけで済んだ。
その時、私の背後には、ハードカバーばかり詰まったスチール式の本棚が、ぐにゃりと曲がって倒れていた。そこはもし私が眼を覚まさずに寝ていたら、間違いなく頭を直撃しただろう位置だった。

九死に一生を得た私は、翌日には電車を乗り継ぎ岐阜の実家に避難することができた。そしてそれから2カ月余り、実家で過ごした。
「このままうち(実家)にいようか」と、何度も考えた。実家にいれば安穏に暮らせる。両親も親類も友人も手を差しのべてくれるだろう。なのに私は、神戸が気になって気になって仕方なかった。どうしようもなかったのに「私だけ神戸を離れて安穏な暮らしをしているなんて申し訳ない」とばかり思っていたのだ。テレビや新聞や雑誌の震災特集を繰り返し見ては、涙を流した。帰りたい。神戸に帰りたい。
そして3月末、かなり無理をして神戸に戻った私は、全く仕事のない状態に陥った。仕事の中心だった予備校は、震災で校舎も壊れ仕事の出来る状態ではなかった。
私はそれでも講師(教師)という仕事にこだわり続けた。他の仕事をしようとか、ボランティアをしようとか、そういった気持ちにならなかったのだ。私にできることは、国語を教えることだけ。何としても神戸の子供たちを教えたい。それしか考えられなかった。
しかし仕事は見つからず、願いは叶わないまま、ただただ悶々と過ごす日々を送っていた。
私ノ何ができるだろう。私に何が言えるだろう。……何もない。何も。

そんなとき、私は一冊の本に出合った。
川柳集『わが阪神大震災・悲苦を超えて』(時実新子選・曽我碌郎編、大和書房刊)である。
その年の3月末、新聞のコラムで紹介されていた時から「絶対この本を読みたい」と思っていた本が、書店に並んでいるのを目にしたのだ。
すぐに購入し、何度も読んだ。繰り返し繰り返し読み涙を流した。

  平成七年一月十七日 裂ける   時実新子
  死体検案す即死であったこと願い 大西俊和
  不揃いの食器で何を食べたやら  寺西文子
  公衆電話声を聞くまでしがみつく  坪井篤子
  あの顔この顔生きていてくれ夜になる 曽我碌郎

そうだ、私はこう言いたかったんだ。私が欲しかったのは、私がしたかったのは、こういうことだったんだ……。
すぐに私は本の著者(編集者)に感想の手紙を書いた。いや、ほとんどラブレターに近かったように思う。
「私も仲間に入れてください。私も一緒に川柳がしたい」ただひたすらそれだけを伝えたくて書いたのだから。
それから数ヶ月後、私は川柳作家・時実新子と出会い、師に導かれるままに川柳を始めた。
今や私にとって、川柳はなくてはならない相棒のように、いつでもそばにいる。

今、10年前の神戸とよく似た光景が新潟にある。
一個のおむすびを分け合い、毛布を奪いあい、水を汲みに遠くまで歩き、トイレに困り、お風呂を恋しがり……。
新潟の人々も、いつか心を救われる本と出合えるだろうか。
あの時私の心が、あの本で救われたように。

拍手[0回]

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無題
なるほど、こういうことがあったのですか…。

それにしても超々亀レスでごめんなさい。

Commented on 2005/12/30 Friday 09:33:53

by shiro-chan | コメント編集

無題
>shiro-chanさま
実家に帰省しておりましたのでレスが遅れましたm(_ _)m
そういうわけなんです。
私にとって川柳は、救いであり、癒しであり、親であり、友人であり、仲間であり、喜びであり、楽しみであり、生きがいであり、……もう生活そのものといってもいいかもしれません。
もっともっと多くの人が、川柳と出合ってくださったら。川柳を詠む楽しみを知ってくださったら。そのための一助となれればと思っています。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

Commented on 2006/01/03 Tuesday 21:17:27

by 美輪@brownycat | コメント編集

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プロフィール
HN:
美輪@brownycat
性別:
女性
自己紹介:
1995年阪神淡路大震災に遭う。同年、時実新子に出合い川柳をはじめる。
「川柳大学」元会員、旧公式HP管理人。
ゆうゆう夢工房」会員。
雑誌「現代川柳」編集長。
KCC(神戸新聞文化センター)川柳教室講師、朝日カルチャー芦屋教室川柳講師。
2006年8月より神戸新聞川柳壇選者。
2007年秋よりコープこうべ通信講座川柳教室講師。
2009年4月より甲南カルチャーセンター川柳教室講師。

*神戸新聞2008/1/1~7掲載「源氏物語千年紀 川柳作家とゆく須磨・明石」はこちら

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